otonaもドキdoki

大人も大人未満の人もドキドキすることを綴ります

佐保路ぶらり

 

f:id:nourishment:20200603091024j:plain          f:id:nourishment:20200603090939j:plain

東大寺天害門から西に向かう道が佐保路となる。終点の法華寺に至る前に、右の田んぼ道の奥に不退寺が見える。在原業平が父・阿保親王のために建てた寺で、建物の一部に業平様式という建築様式が見える小さな寺だ。業平の生い立ちを知ると妙に魅かれるお寺で2度訪れた。佐保路の行きどまりにある法華寺は、佐保路のメインだろう。藤原不比等の邸宅跡地に建てられた光明皇后のお寺である。全国の国分尼寺の総本山という位置づけだから格式の高い寺だったようだ。今は焼失後の再建による建物が一部残っているだけで、特段に印象に残るものはないのだが、この寺の敷地に立ってみると藤原氏の権勢を十分過ぎるほど感じる。文献によると創建時の広さは相当なもので、平城京東大寺に睨みを効かせる絶好の位置にある。すぐ隣の海龍王寺は小さな寺で見過ごしがちだが、国宝の五重の小塔は現存する実物としては最古の塔。訪れる人も少ないが天平の薫り高い寺だ。そのまま西に進むと平城京跡に出る。奈良に行き始めた1970年代は、この辺りは草の生えている何もない空き地だった。京都から近鉄奈良線に乗ると、大和西大寺の駅を過ぎた当たりから広大な原っぱが見え始める。平城京の広さと滅びた古都の寂しさが感じられて、私はその風景が好きだった。その後奈良を訪れるたびに変化に驚かされる。野原は整地され、朱色の建物が建ち、ついには往時の平城京が復活した。平城京の復元それ自体を否定するのではないが、建物の色や飾りのひとつにまでも、どうしても往時を再現しなければいけないのか疑問に思う。「滅びた古都」のイメージではいけないのか。今の奈良のあちこちに感じることではある。

学生時代に最初に妻と奈良へ旅した時に、大和西大寺駅まで足を延ばした。旅の終わりに西大寺駅前のレストランで昼食をとることにした。徹夜のアルバイトで貯めた金も底をついていたが、ステーキを食べることにした。旅の最後に思い出を作ろうという気持ちがあったからかもしれない。それまでステーキというものを食べたことがなかった。味の記憶はないが、肉の厚さと中心部の赤さを憶えている。今でも奈良を訪れるとその時のステーキを思い出す。北に少し歩くと秋篠寺がある。宮家の名前がつく前には「伎芸天」を見る人がわずかにいる程度だったが、今は人の波が絶えない寺になってしまった。堀辰雄は「伎芸天」を「匂いの高い天女」と表現した。静かな秋篠寺は、物思いに耽るには贅沢なシチュエーションだ。

 

あきしのの みてらをいでて  

かヘりみる いこまがたけに  

ひはおちむとす      會津八一