佐保路ぶらり
東大寺天害門から西に向かう道が佐保路となる。終点の法華寺に至る前に、右の田んぼ道の奥に不退寺が見える。在原業平が父・阿保親王のために建てた寺で、建物の一部に業平様式という建築様式が見える小さな寺だ。業平の生い立ちを知ると妙に魅かれるお寺で2度訪れた。佐保路の行きどまりにある法華寺は、佐保路のメインだろう。藤原不比等の邸宅跡地に建てられた光明皇后のお寺である。全国の国分尼寺の総本山という位置づけだから格式の高い寺だったようだ。今は焼失後の再建による建物が一部残っているだけで、特段に印象に残るものはないのだが、この寺の敷地に立ってみると藤原氏の権勢を十分過ぎるほど感じる。文献によると創建時の広さは相当なもので、平城京と東大寺に睨みを効かせる絶好の位置にある。すぐ隣の海龍王寺は小さな寺で見過ごしがちだが、国宝の五重の小塔は現存する実物としては最古の塔。訪れる人も少ないが天平の薫り高い寺だ。そのまま西に進むと平城京跡に出る。奈良に行き始めた1970年代は、この辺りは草の生えている何もない空き地だった。京都から近鉄奈良線に乗ると、大和西大寺の駅を過ぎた当たりから広大な原っぱが見え始める。平城京の広さと滅びた古都の寂しさが感じられて、私はその風景が好きだった。その後奈良を訪れるたびに変化に驚かされる。野原は整地され、朱色の建物が建ち、ついには往時の平城京が復活した。平城京の復元それ自体を否定するのではないが、建物の色や飾りのひとつにまでも、どうしても往時を再現しなければいけないのか疑問に思う。「滅びた古都」のイメージではいけないのか。今の奈良のあちこちに感じることではある。
学生時代に最初に妻と奈良へ旅した時に、大和西大寺駅まで足を延ばした。旅の終わりに西大寺駅前のレストランで昼食をとることにした。徹夜のアルバイトで貯めた金も底をついていたが、ステーキを食べることにした。旅の最後に思い出を作ろうという気持ちがあったからかもしれない。それまでステーキというものを食べたことがなかった。味の記憶はないが、肉の厚さと中心部の赤さを憶えている。今でも奈良を訪れるとその時のステーキを思い出す。北に少し歩くと秋篠寺がある。宮家の名前がつく前には「伎芸天」を見る人がわずかにいる程度だったが、今は人の波が絶えない寺になってしまった。堀辰雄は「伎芸天」を「匂いの高い天女」と表現した。静かな秋篠寺は、物思いに耽るには贅沢なシチュエーションだ。
あきしのの みてらをいでて
かヘりみる いこまがたけに
ひはおちむとす 會津八一
数学一人旅4 やや難解な因数分解
ようやく学校が再開されますね。高校1年生の諸君、課題お疲れ様。このブログは1年生の一学期の数学の要点を中心に書いています。難度の高い教科書を使っている場合も、そうでない場合も参考になると思います。コロナに負けないで充実した高校生活をおくってください。
整式の展開や因数分解は基本の「基」ですから、高校数学で新しく登場する3つの展開公式 , , と2つの因数分解公 式 , はしっかり記憶しておくことです。また3つの文字が登場する公式は、 の展開と の因数分解だけであることも記憶にとどめておいてください。
を利用して となることから を得るので、前半部分の の因数分解をすることにします。
東大寺散策
これまでの旅で最も訪れた場所は奈良。古都奈良の寺院や仏像が好きで、学生時代から行き始め、信州の山中で暮らした時も何度も訪れた。東大寺、興福寺、法華寺、唐招提寺、薬師寺、法隆寺、当麻寺、長谷寺、金峯山寺は知名度が高く、ありきたりかもしれないが、何度行っても新しい魅力を発見する。それほど著名ではないが、新薬師寺、百毫寺、秋篠寺、海龍王寺、元興寺、法起寺、浄瑠璃寺、飛鳥寺も独特の魅力があって好きな寺だ。仕事の関係で3月末に行くことが多く、その頃奈良はまだ少し寒いが、菜の花が咲いて春の訪れを感じさせる時期だ。宿は佐保路にある公共施設と小西通りにあるプチホテルをよく使った。贅沢したい時は近鉄駅前の「春日ホテル」。最近はJR駅前の大手のホテルも利用する。
近鉄駅前の大宮通を右に歩けば興福寺の境内に入るのだけれど、奈良公園と興福寺境内の区別が判然としないまま宝物殿や五重の塔に見とれてしまう。南大門跡、南円堂や土壇なども重要な文化財であることを知ったのは最近。小西通の中ほどから興福寺に入った方が興福寺の広さを体感できる。昭和50年ごろまで、国立博物館の向かいに旅館「日吉館」があった。研究者、学生や院生のための旅館で、会津八一も定宿にしていた旅館だった。古くて狭くて暖房も炭火だったが、夕食はすき焼きで料金も安かった。人気のおばちゃんが生きているうちに泊まれてよかった。宿の下駄を借りて奈良公園を散策したことも忘れられない。その少し上に「下々味亭」という食堂があった。昼めしはテーブルについた客が同じ釜の炊き込みご飯を食べるという食堂だったが、今はもうない。代わりに南大門の近くにおしゃれな食堂街ができている。昼食と言えば奈良では必ず「柿の葉寿司」を食す。「平宗(ひらそう)」は吉野に本店がある老舗だが、猿沢の近くにも店を構えている。昔は静かで趣があったが、居酒屋風に変わってしまったので行くのをやめた。
奈良の寺はそれぞれの寺に寺宝があるので見落としがちだが、国立博物館にはかなりの宝物があり、何度か足を運んだ。以前は三月堂に安置されていた日光、月光が、今は南大門横にできた「東大寺ミュージアム」に収納されている。三月堂の不空羂索観音は十代の頃に最初に魅了された仏像なのだが、当時から三月堂の狭さに違和感があった。日光、月光も納まりの悪い位置だったように思う。本来はどこにあったのだろう。日光、月光が移動して三月堂の印象が変わった。東大寺の三月堂へ進む階段の右側に茶屋があって、きつねうどんやわらび餅を食べによく寄った。3月上旬は休みがとれなかったので、お水取り(修二会)を見たのは2001年が最初だった。冷たい雨の降る中を2時間以上も二月堂前で立ち待ちし、足が棒のようになった。あたりが真っ暗になってから、突然二月堂の階段を松明が走り登ってきて、堂の上で長い枝が突き出された。松明が激しく回され、火の粉が降り注ぐ様には、感嘆の声が出るばかりだった。
この二月堂の裏手の階段を降りると土塀が続く裏参道に出る。そこは東大寺で一番好きな散歩道だ。そのまま進むとやがて戒壇院に至る。そこで最も著名な四天王に出会う。「土門拳」の写真集「古寺巡礼」のなかでも、この四天王の透徹した表情が圧巻。若い頃は四天王と言えばここを目当てにしていたが、当麻寺の四天王を見てからは、古い形式の素朴な四天王も好きになった。戒壇院の前の階段と門にも趣がある。戒壇院の奥にある正倉院は特別な時しか見学できない。幸運にも5月に仕事で訪れた際に見ることができた。正倉院をまねた古い倉庫をあちこちの寺で見るが、正倉院はまったく雰囲気が違う建物。まさに「院」であり、荘厳な雰囲気が漂う特別な建物である。西の端にあたる天害門には戦の矢の刺さった跡が残っている。いつの時代のものだろう。
数学一人旅3 続・整数方程式
互除法から得られた*の式を 余りを基準に書き直すと
数学一人旅2 整数方程式
「abc予想」が証明されて話題になりましたが、整数論の世界は一見単純に見えることがとても難解な世界です。比較的わかりやすい整数論の問題を1つ紹介します。現役の高校生は数Aで扱う内容です。
さてここからが本題
数学一人旅1 式の値
「式の値」という問題は多様ですが、一番基本となる問題を紹介します。これは易しい教科書では節末問題の中で扱う程度です。与えられた条件式を加工する方法にはいくつかの定型があるので、他の定型は別の項目で扱うことにします。
数学一人旅 prologue
高校の数学の教科書は難度が違うものが何種類も発行されている。進学校では難度の高いものを使用し、苦手な生徒が多い学校では難度の低いものを使う。進学校の教師の資質で重要なのは「難問を質問されても解けること」。実は教える力はあまり関係ない。最難度の『数研オリジナル』を使って演習を担当した時は、難問を解いているのが楽しかった。しかしそれでは、教師は蓄積を披露するだけの職業にすぎない。それでよいと考える教師も多かった。苦手な生徒が多い学校では教え方が問われる。まれに数学好きの生徒が難度の高い問題を質問してくると、授業で扱わない言いわけに困った。
そこで、難度の高い問題を、苦手な生徒向けに誌上で解説してみようと思う。
また、何年も数学から離れている人には、頭の体操になるかもしれない。